White Noiz

諸々。

SHADOWLESS

昼間の色街は何故か白茶けて見える。
わたしは、そんな誰かのセリフを思い浮かべながら狭い路地を歩いていた。
前にはターゲット。
視界の悪いごちゃごちゃした街では、1つ交差点を挟むだけでターゲットを見失いそうになる。
周囲には誰もいない。あまり近づき過ぎると勘付かれる可能性が増し、あまり離れすぎると見失う。
そのギリギリの境界線で、何もないふりをしながら後をつけていく。
色街特有の下着だか水着だか分からないような服を来た看板の中の美女が、どこか白けたような表情で陽の当たる道を見下ろしている。
夜ともなると、ネオンが輝き出してさぞかし綺羅びやかな景観が現出するのだろう。道端に棄てられたタバコの吸い殻や、転がったゴミバケツを闇の中に抱えながら。
夜は闇を生む。闇は影を囲い込み、都合の悪いものを視界から包み隠す。
その中で蠢くモノは、明滅するネオンに紛れて身を潜める場所を確保し、安息を得るのだ。
そんな止めどもない事を考えながら、ふらふらと影に紛れそうになる男の後ろをついて行く。
薄汚れた背中が路地の角を曲がる。小走りに角まで急ぎ、男の姿を確認する。
男は店へと入っていくところだった。ドアへと吸い込まれていく。
店の入り口の前に立つ。
この入り口から入って裏口へと抜けるのか?それとも、尾行に気づいてこの店の中で待ち伏せでもしようというのか?この店の店主も仲間なのだろうか?
不安を振り払う。ここで見失うわけにはいかない。

強烈な初夏の陽射しと比較して店内は薄暗く、目が慣れるのに暫くの時間を要した。
今時のチェーン店とは違い、落ち着いたというよりもかなり古ぼけた内装の喫茶店だった。
カウンターの中には、この喫茶店に似つかわしく古ぼけたマスターが白いカップを磨いていた。
「いらっしゃい」
一瞥をくれたマスターは中途半端な時間帯の来客に驚きもせず、ただ静かにありきたりな言葉を紡いだ。
わたしは薄闇に目が慣れるのを待ってカウンターに座る。
「何に致しましょう?」
マスターがお冷やとお絞りをカウンター越しに差し出す。
わたしはメニュースタンドに立ててあるメニューを手に取った。
ざっとメニューに目を通す。特段面白そうなメニューがあるわけでもない。
アイスコーヒーでも飲むか。
マスターに声をかけようとして、彼の胸元にあるパールホワイトに輝くネームプレートが目に入った。
流麗な筆記体のアルファベットでKobaruと書いてある。
漢字で表記するならば、恐らく「小原」か。
わたしの視線に気づいたのか、マスターが自分のネームプレートに目を遣る。
「あぁ、これですか?」
胸のプレートを左手の親指でさして笑う。
わたしは曖昧に笑みを返した。
「よく珍しいって言われますね。普通はコバルとは読みませんから」
客に対する話のツカミとしては最適だと言えるだろう。熟練の喫茶店のマスターだ。話に引き込む手腕はそれなりに持っている筈だ。
「なるほど。普通はオハラとかコハラとか読む感じですかね?」
わたしはそんなマスターの話に乗ることにした。
「そうです。その漢字です」
「今のは、感覚の感じと文字の漢字をひっかけた?」
マスターが満面の笑みを浮かべる。
「そんな感じです」
わたし達は声をあげて笑った。
ガランとした中で二人の笑い声が響く。
「すみません、アイスコーヒーを」
「はい。畏まりました」
マスターは丁寧にお辞儀をした。
他に客は居ないようだった。

なぜだ?この店に裏口や勝手口といったものはなかった。
店は半地下のような構造になっており、トイレの窓だけは換気のためにあるものの、それもかなり小さく人が通れるような代物ではなかった。
だとすると、あの男は隠れている。この店内のどこかに。
店主が匿っている可能性はある。そしてもちろん、あの男がトイレに行くふりをして隠れているだけという可能性もある。店主は無関係なのかもしれない。
ざっと考えを巡らせる。店主も仲間だという可能性を考慮に入れた行動をしなければならない。
まずはトイレに隠れているかどうかの確認だ。トイレに隠れていたならば店主が介入して来るのに少しばかりのタイムラグがある。それを利用して2対1の不利を覆さなければならない。
もし、トイレにも居なかったとしたら?
トイレの他に店主の注意を引かずに隠れる事ができそうな場所はない。つまり、あの男がトイレに隠れていなかった場合、この店の店主があの男を匿うというケース以外に考えられない。だとすればこの店主もあの男の仲間だということになる。
二人を相手にして勝てるのか?わたしはショルダーホルスターに吊るしてあるグロック30の重みを確かめる。この愛銃に全てが掛かっている。
わたしは不安を押し殺して立ち上がった。
「お手洗いは……」
何気なく装う。
「あぁ、お手洗いは……えーと」
店主が言い澱む。
何だ?なぜ言い澱む?あの男が隠れている?トイレは既に塞がっていると言いたいのか?あの男が入っていったのを見たのか?店主はあの男の仲間ではない?
「あちらです」
主人が店の奥を掌で指した。
トイレには誰もいないのか。なぜ言い澱んだ?
わたしは不自然にならないよう、用心深く店主の表情を伺いながら頷いた。
店主の表情は、穏やかな微笑みに戻っていた。店全体の暗さと間接照明が絶妙な陰影を生み、デスマスクを彷彿とさせた。

席に戻ると、マスターがにこやかにお絞りを差し出してきた。
「ありがとう」
わたしは席に座り、おしぼりを受け取って手を拭う。
トイレには誰も居なかった。
薄暗い間接照明を多用した店内とは打って変わって、トイレは暖色系の明かりに包まれていた。決して広くはない店内のせいか男女共用のトイレだった。隅々まで調べても1分とかからない。待ち伏せもなかった。誰も居なかった。
「アイスコーヒー、お待たせしました」
グラスに水滴を纏わせたアイスコーヒーが出て来る。
「ありがとう」
わたしは軽く会釈してシロップを手に取る。冷えたコーヒーに流し込む。
このコーヒーに毒物が盛られているということはないだろうか?
疑心暗鬼が頭をもたげてくる。
このアイスコーヒーを飲んだ瞬間昏倒し、拘束されるということはないだろうか?
いや、即死というケースも有り得るのか。
空になったシロップケースを持つ手が震えているのが分かった。
拙い。この動揺をマスターに知られるのは拙い。
慌ててシロップケースをカウンターに置き、ストローを包みから取り出してアイスコーヒーに突き立てた。
軽くグラスを持ち上げ、アイスコーヒーを口内に含む。特に変わった味はしない。そのまま嚥下する。
異常はない。
安堵で全身の力が抜けそうになる。
今の一連の行動はおかしくはなかっただろうか?この店のマスターが無関係だろうと敵だろうと、どちらにしてもわたしの挙動に疑いを持たれるのは拙い。
おそおそるカウンター越しの視線を確かめる。マスターが無表情にわたしを見つめていた。その無表情が緩む。
「いかがですか?」
完璧な笑顔。
「美味しいです」
わたしの浮かべた笑みはさぞかしぎこちないものだっただろう。

店主の視線に耐えられなくなったわたしは、話題を探すためにメニューを開いた。夜は居酒屋でもやっているのだろうか?様々な料理がメニューに書かれてある。
「こういうツマミみたいなものは、何時から?」
「今からでも出来ますよ」
店主はカウンターの向こうから気さくに答えた。
あの男の行方をこの店主に聞くべきかどうか?
店主は何と答えるだろう?
店主があの男と仲間だった場合、店主は何と答えるだろうか?おそらく「そんな男は来ていない」と答えるだろう。
店主があの男と無関係だった場合、店主は何と答えるだろうか?おそらく「そんな男は来ていない」と答えるだろう。
どちらにしても「そんな男はこの店には来ていない」のか。
店主の表情から何らかの情報を得る為に聞くべきなのか?それとも聞いても無駄なのか?それとも隙を見てカウンターへと飛び込み、銃を突きつけるべきか?
いずれにしろ、店主の隙を作らなければならない。調理をしている間というのは隙を突きやすいのではないか?
メニューを繰る。そこにおかしな料理を見つけた。
「醤油田楽?」
「珍しいでしょう?田楽って普通は味噌じゃないですか」
「味噌じゃない田楽って、郷土芸能の田楽しか思いつかないですよ」
わたしがそう答えると店主は声をあげて笑った。
「基本は味噌田楽と同じです。厚揚げやこんにゃくを串で刺して焼く。それは変わりません。ただ、つけるのが味噌じゃなくて醤油ベースのタレなんですよ」
「なるほど」
「一皿お作りしましょうか?」
「じゃぁ、お願いします」
「はい」

カウンター越しに見える調理場のマスターは隙だらけだった。
このままどこかに隠れるべきなのか?店内を見回す。カウンターの向こうくらいにしか隠れる場所はない。
わたしを追っている男はどこに行ったのだろうか?諦めたのだろうか?いや、そんな事はないだろう。他に出入り口がないことを確認した上で正面の出入り口あたりに張り付いているのだろうか?それとも応援を呼びにいったのだろうか?
尾行に気付いたのは2時間前。なぜ追われているかはよく分からない。
この店のマスターには悪いが、あの男がこの店に乗り込んできたら銃撃戦になるだろう。
その前にマスターを拘束し、安全な場所に転がしておくというのも悪くないかもしれない。

カウンター越しに見える調理場の店主は隙だらけだった。
あの男はどこに隠れているのか?店内を見回す。カウンターの向こうくらいにしか隠れる場所はない。
店主の隙だらけの背中。あの男の仲間だとは思えない。だとするならば、この店に入っていった男はどこに行ったのか?本当にこの店には来ていないのか?いや、そんな事はないだろう。この目でこの店の扉を潜ったのは確認したのだ。
あの男をようやく見つけ出して2時間尾行を続けてきた。奪われたものを取り戻さなければならない。
ひょっとして、この店主はあの男に脅されて普通に接客をしているだけなのか?
それにしては怯えた素振りもない。それとも金で買収でもされたのだろうか?

あの男はここには来ないのだろうか?
あの男はここには居ないのだろうか?

「お待たせしました。醤油田楽です」
マスターが皿を運んできた。
わたしはいつこんなものを頼んだのだろうか?
そもそも、ここは喫茶店ではなかったのか?なぜこんな料理が運ばれてくるのだろうか?
改めて店内を見渡す。
入り口付近の壁に古い映画のポスターらしきものが貼ってあった。
暗い部屋に入ろうとしている男を部屋の中から描いたイラストで、開けたドアから外の照明が差し込み、男をシルエットだけの存在にしている。「脱出口」の照明標識を逆の構図にしたような簡単なものだが、よく見てみると部屋に差し込む明かりの中に部屋に入ろうとしている男の影がない。
ポスターの下の暗闇の中には走り書きのような字体で「SHADOWLESS」と描かれてあった。
影無し。
「影のない男という話をご存知ですか?」
マスターが話しかけてきた。わたしの視線がポスターで止まっていることに気付いたのだろう。
「……いえ」
「1814年に刊行されたアーデルベルト・フォン・シャミッソーの中編小説に『ペーター・シュレミールの不思議な物語』というものがありましてね……」
わたしはポスターから目を離せない。店主の声が耳から脳へと入り込んでくる。
「ポケットの中からなんでも取り出せる上着と、自分の影を交換した男の話でしてね。まぁ、中世の話にありがちなものなんですが、この上着の持ち主である灰色の男というのが悪魔なんですよ……」
能力の取得。それに対する代償。影のない男。灰色の男。
偶然か?この店にこんなポスターが貼られてあるのは偶然なのだろうか?
寒い。急激に体温を奪われている気がする。いや、これは血の気が引いているのか。
「お客さん、顔が真っ青ですけど、大丈夫ですか?」
マスターがわたしの顔を覗き込んでいる。
「……だ、大丈夫です」
わたしは息苦しくなった喉を潤すために、アイスコーヒーを流し込んだ。
仕組まれているのか?仕組んだのは誰だ?灰色の男か?
そう、だからわたしは灰色の男を追っているのではないか。

「ご存知ですか?世界は田楽のようなものだっていうのを」
世界が田楽?何だ?何の話だ?
店主がいつの間にかわたしの目の前にあった皿の上の醤油田楽を手に取っていた。
「この厚揚げやこんにゃくがひとつの世界です。これらは形が似てはいるものの、決して交わることのない世界です」
「……それは、つまりパラレル・ワールドの話ですか?」
「はい、イメージとしてはあっています」
店主がにこやかに話の続きをしはじめる。
「しかし、決して交わることのない世界でも、お互いの軸がずれないようになっている。それを固定しているのがこの串です」
「なぜズレないのだと分かるのですか?」
「簡単な事ですよ。わたしがそれらの世界を見通せているからです」
何だ?平行世界を見通す存在?そんな者が居る筈もない。
「わたし自身がこの串という存在そのものなのです」
平行世界を固定するアンカー。
そいつは人間ではない。
能力の取得。それに対する代償。影のない男。灰色の男。悪魔。

わたしは人間ではない者を追っていたのか。
わたしは人間ではない者に追われていたのか。

「いいえ、違いますよ」
声が響いた。

「あなたが追っているのは、あなたの影です」
「あなたを追っているのは、あなたの影です」


あとがき。
難産でした。
自分の中の才能が枯渇したんじゃないかって思えるくらいに難産でした。
原因は分かっています。クライマックスシーンのイメージすら思い浮かばないまま書き始めてしまったから。
というよりも、むしろ冒頭のシーンだけしかイメージしてなかったという。
その後、なりゆきに任せるままに物語は二転三転し、パズルのピースが埋まらないままに6月を迎えました。
パラレル・ワールドの話になったのが4日前。ペーター・シュレミールという最後のピースに辿り着いたのが、このあとがきを書いているほんの5時間前でした。
その上よせばいいのに一人称のミスリードまで考えついて、試しにやってみたら筆が進まない進まない……。
気がついたら「誰がためのアルケミスト」でやってたFFXVコラボのプロンプトがレベルキャップまで達してました。
そんなわけで、実験的ではあるものの完璧には程遠い作品が出来上がりました。
いやぁ、タクティス型のシミュレーションゲームってホント恐ろしい。

2016/06/15記

 

創作集団スターボー

三題話共作・第29集

2017年夏コミ頒布「水着三題話2」寄稿作品