White Noiz

諸々。

バンダースナッチ (2)

 弘美は、電話口で兄の浩平に克基に言われた通りのことを話した。
「ふぅん、群青色の鈴緒ねぇ」
「どう?心当たりはある?」
 弘美と浩平の家は、代々平橋市にある天平八大龍王社の宮司だ。現在、弘美の父が宮司を務めており、浩平はそれを継ぐための修行の真っ最中という立場にある。
「いや、群青色の一色というのはさすがに見たことがないね」
「やっぱりかー」
 一応、弘美も代々神社の神職を務める家系の子女だ。それなりに知識はあるつもりだ。それでも、群青一色の鈴緒なんていうものは見たことも聞いたこともなかった。
 神職の知識や作法を正式に学んでいるだけでなく個人的な浩平の趣味といった意味でも、弘美よりもはるかにこういったことに造詣が深い浩平が知らない事となると、かなりのレアケースと言ってもいいだろう。
「そもそも神道で言えば藍か紫だよね。群青色というのは、ない」
 やっぱりそうなんだ――
 弘美は自分の半端な知識が間違ってないことに安心する。

 
「あー、そういえば。言うの遅れたけどさ」
 何気ない風を装って、浩平がからかうような声で言った。
「ウチの龍王社も先日、鈴の架け替えがあったんだよ」
「えっ?いつの間に?」
 弘美は驚きのあまり手が滑り、スマホを落としそうになった。
「その鈴緒もなかなかに珍しくてね」
 やっぱり珍しい色なのか――
「色は紫だから、そんなに珍しくもないんだけど、それでも紫一色なんだよ」
 克基が弘美の慌てっぷりに気がついた。眉根を寄せている。
「その鈴緒もやっぱり、椚山毘沙門天のお堂と同じように何か描かれた和紙が編み込んであるらしくてね」
 これもやっぱり、何かのまじないの一種なのか――
「兄貴、その鈴緒を取り外して調べることは……」
「弘美、言いたいことは分かるけど、それはできないよ」
 浩平はきっぱりとした口調でそう言った。
「新しく寄進された鈴緒を取り外して、バラすなんてことしたら、オレが氏子の皆さんにバラされてしまうよ」
 それはそうだ――
「だからね、弘美。悪いけど、オレが協力できるのはここまでだ」
 そう一方的に言い放つと、じゃぁなと言って浩平は電話を切った。


 さて、どうしたものか――
 球場の外で克基は悩んでいた。
 もちろん、『怪盗バンダースナッチ』案件はとても大事だ。依頼をちゃんとこなすということは、次の依頼に繋がる可能性を高めることだし、社会的な信用というもなかなかに得難いものを得ることができる。なによりも、お金になるというのはとても大事なことだ。
 とは言え、鈴緒の一件を無視することもできずにいた。変わった色の鈴緒。鈴緒に編み込まれた紙。何らかの意味が込められていることは間違いない。しかも、二箇所同時に同じように鈴が架け替えられているのだ。これを偶然と呼ぶにはかなり無理がある気がした。そしてなにより、克基は今、とても嫌な予感がしている。
 鈴緒が何かの術式だったとして――
 問題は、それを放置しておいても大丈夫かどうかだった。もし、この術式が発動するのが明日以降なら、今日起きるはずのバンダースナッチの試合盗難予告事件を解決してからでも充分に間に合う。もし、この術式がそれほど威力もないイタズラ程度のものだったり、失敗するようなお粗末なものだったら放置しても問題ないはずだ。
 でもなぁ――
 克基は考える。お堂や神社に吊るす鈴緒というのは、決して安くはない。鈴も込みで寄進するとなるとなおさらの話だ。
 さらに陣の規模の問題もある。椚山毘沙門堂天平八大龍王社の間には直線で5キロメートルほど距離がある。かなり大規模な術式と言ってもいい。
 ちょっとしたイタズラに、そこまでの金額と手間を注ぎ込むのかどうか。そしてそこまでの金額と手間を注ぎ込む術式ならば、失敗しないように念には念を入れるのが当然だろう。
 となると、やっぱり発動するタイミングの問題か――
「師匠!」
 周一の声がした。
「師匠、こんなところでサボってないで仕事してくださいよぅ」
 汗を拭いながら近づいてきた周一が文句を垂れた。
「サボってんじゃねぇよ。考え事だ」
「どっちの案件を考えてたんスか?」
 周一がニヤリと笑う。
 こういうことには敏い男だ。他人が迷っていたり、困っていたりするのを瞬時に見抜いてしまう。それで手助けするような男ならば、素晴らしい人格者ということになるのだろうが、困った事に周一はそれを揶揄してしまう。単に性格が悪いとも言う。
「師匠、ダメっスよぉ。ちゃぁんと依頼された方の案件を真面目にやんなきゃ」
 克基はため息をついて、灰皿で煙草を揉み消した。
「分かってるよ。ちゃんとやるさ」
 ベンチから立ち上がり、背伸びをして、克基は周一を置いて歩きだす。周一は慌てて克基の後を追った。
「あれ?そしたら鈴緒の件はどうするんスか?」
 克基は立ち止まり、にこやかに周一の肩をぽんと叩いた。
「お前がやるんだよ」


 周一は頭を抱えていた。克基から『謎の色鈴緒』案件を任されてしまい、どうしていいのか分からずに途方に暮れていた。
 克基は球場内に戻って行った。おそらく弘美や千聖と一緒に怪盗バンダースナッチを探しているのだろう。女子高生と仲良くキャッキャウフフな感じで。それが周一にとっては腹立たしい。
 その上、間違いなく周一の手には余りそうなめんどう事を丸投げされたのだ。周一の怒りは克基に向けられて当然とも言える。
 あぁ、ダリぃ――
 周一はベンチに座る。何をどうすればいいのかわからない。何をどうすればいいのかを考えることすらもめんどうだった。
 試合が始まっても、ちらほらと人影がまばらに見える。平橋市民球場の周囲は公園になっていて、初夏の日差しに照らされた深緑がまぶしく輝いている。
 そもそも、師匠は無茶ぶりし過ぎなんだよなぁ――
 ジリジリと照りつける日差しにうんざりしながら、周一はベンチにゴロリと横たわった。足首をベンチの肘掛けに引っ掛けて右腕を枕にする。やる気もまったく起きないので、スマホをポケットから取り出そうとする。
 チャリン――
 小銭が落ちた音。
 周一は舌打ちをして起き上がる。足元を見てもその周りを見回しても小銭は落ちていない。
 ベンチの下か――
 ベンチの前にしゃがみ、下を覗き込む。
 あった――
 百円玉はベンチの下ではなく、その後方に転がっていた。
 立ち上がり、ベンチの後ろに回り込んだ。百円を拾ってポケットの中に再びねじ込む。
 顔をあげると、そこには塚があった。
 ベンチの後ろには60センチほどの隙間があり、その後ろに生垣があった。その生垣の向こう側には芝生が植わっており、少し開けた空間が広がっている。その真中に半径二メートルほどの円形の塚があった。その塚の上には、やや歪つなひし形のひと抱えほどもある岩が斜めに生えていた。
 なんだ?ありゃぁ――
 塚に生えている岩には、角があった。ひし形の鋭い岩のてっぺんからやや下がった場所。そこから斜めに長く、天へと伸びるかのように鋭く突き出したでっぱり。それはまるで、天に向かって吼える鬼の角のように見えた。
 周一は生垣を跨いで塚へと近づいた。塚の手前に大理石で文字が刻まれていた。
 『鬼の首塚
 以前、周一は克基から聞かされていた。その昔、朝敵として追放された貴族がこの平橋の地で憤死して鬼となったが、高僧と武者によってその首を討ち取られたという話だった。その首は呪詛の言葉を発しながら朝廷へ向かって這い進み、ついに力尽きたその場所に鬼を鎮めるための塚が造られたという。平橋の『鬼の首塚』の伝承。
 その首塚から上へ向かって生えている鬼の角に何かが掛けられていた。周一は角にかかる紐のようなそれを見ようと足を踏み出す。
 組紐か――
 色とりどりの組紐。その先に金属製の鈍い輝きがある。
 あれは、鈴かな――
 鈴がついた色鮮やかな鈴緒は鬼の角に四角い紙で貼り付けられているようだった。
 周一は首塚の正面に立ち、四角い紙をのぞき込む。
『谺』
 鈴緒を留めている紙には、たった一文字だけそう書かれていた。
 何て読むんだ――
 周一は、自分が『謎の鈴緒』事件の重要な手がかりになるものを目の当たりにしていることに気づいていた。無関係なはずがない。この鈴と紙の謎を解けば、克基を見返すことができる。
 周一は鈴緒を留めている紙を剥がそうとして手を伸ばした。
 そして、その指先が『谺』と書いてある紙にわずかに触れた瞬間、周一は気を失った。

 
 克基は車を市民球場から東北にある城跡公園に向かわせていた。城址公園は、戦国時代にこの地方一帯を治めていた武将の山城で、天守閣などは残っていないが、門跡や外堀などが一部残っている。市はこれを公園として整備して、一般開放していた。
 タイヤを鳴らしながら城址公園の駐車場に侵入し、車を停める。克基はエンジンを止めると、大手門跡へと走った。
 千聖から周一がぶっ倒れているという報告を受けたのは、試合が五回裏を迎えようとしている時だった。スコアは5対1で平橋高校が対戦校の桜帝高校を4点差で追う展開。下馬評通り、桜帝高校は攻守共に平橋高校よりもはるかに強かった。
 呆れながら倒れている周一のところへと向かった克基は、首塚を見て一瞬で状況を悟った。どうやら周一は見事にアタリを引き当てたらしい。鈴と五色の正絹の鈴緒、それに『谺』と書かれた呪符が貼ってあるこの鬼の首塚こそが、術式の中心として機能していた。
 周一が鈴緒と呪符に触れて倒れたことから考えても、術式は既に発動していることがわかったが、克基が調べても首塚の周囲に術がかかっている様子はなかった。
 腑に落ちないところは多々あったが、何も手がかりをつかめないまま球場のスタンドに戻った克基達は信じられない光景を目の当たりにした。スコアは5対10で、平橋高校が逆転。今年の甲子園では台風の目になることを期待された桜帝高校期待のエースは平橋高校の打線に無残にも打ち込まれ、マウンドから降ろされていた。
 身体的にもメンタル的にも、成熟してない高校生がプレッシャーや暑さに負け、たった一本のヒットによって崩れる。そして甲子園行きの切符を逃す。高校野球ではよくあることだった。鬼の首塚を中心とした術式―鈴、五色の正絹の鈴緒、そして『コダマ』と漢字一文字だけで書かれた呪符によるもの―と応援歌にかすかに混じる鈴の音さえなければ。
 当然、克基がその場に居たからこそわかったことだったが。
 克基は平橋高校の応援団席に駆け込み、指揮者を取り押さえた。
 児玉先生と呼ばれていた指揮棒を振る男は、克基に指揮棒を振る手を止められた瞬間、「金が必要だったんだ」つぶやいて倒れた。
 しかし、児玉の指揮する楽曲は術式の引き金にしか過ぎなかった。谺は響き合い、増幅し、そして一定時間響き続ける。例え、音源が消えたとしても響き、反射し続ける。巧妙に造られた陣だった。
 五色の鈴緒から見て取り、術式の陣は五芒星の形をとっていると判断した克基は、「椚山毘沙門堂」と「天平八大龍王社」の位置と首塚の位置をスマホの地図アプリ上で突き合わせて、他の三ヶ所の場所を推定した。「乾ヶ辻の馬頭観音」と「庚申堂の青面金剛」、「城址公園の大手門跡」。全部で五ヶ所。北方には椚山毘沙門堂毘沙門天、北西には乾ヶ辻の馬頭観音、南西には庚申堂の青面金剛、南東には天平八大龍王社の龍王、そして、東北には城址大手門跡。
 克基は陣を張った者に感心した。五つの頂点を構成するすべての基点となっているモノの名が、方角にちなんだモノとして選ばれていることに気づいたからだ。毘沙門天は北方を護る仏法の守護者だ。乾ヶ辻の「乾」は十二支の方位で見ると北西だ。庚申堂の「申」は十二支で見ると西南西になり、天平八大龍王社の「龍」は巽の南東を意味する。城址公園の大手門は東北、艮の鬼門だ。
 更には鈴緒の色にも意味があった。椚山毘沙門天の鈴緒は群青色。西洋占星術に見る北方は双魚宮で、この双魚宮の色が群青色だった。陰陽五行の十二支に西洋占星術黄道十二宮の組み合わせ。一見無茶苦茶に見えるが八大龍王社の鈴緒が紫で編まれており、これが黄道十二宮の天蠍宮の色であることが推論を補強している。鬼の首塚にあった鈴緒は全部で五色。残りの三つの色は桃色、黄色、深緑色。それぞれが金牛宮獅子宮、磨羯宮の色だ。
 そして、吹奏楽部顧問の児玉は呪符の谺に通じ、吹奏楽部の演奏する音楽は音色に通じている。音色は黄道十二宮の色に通じ、黄道十二宮は陰陽五行の十二支に通じている。黄道十二宮と陰陽五行の十二支は方角に通じ、術式の陣を形成して、音色を増幅する。
 驚くほどよく考えられた陣だった。
 術はすでに発動している。陣を壊すならば、中央に位置する鬼の首塚の呪符だろう。しかし、そこは術によって集められた音の呪が満ちている。無理に破ろうとしても、周一の二の舞になる。
 破るならば、周囲からだ――
 残る3ヶ所の場所を推測した克基は、確認に向かうように指示を出した。千聖には乾ヶ辻の馬頭観音。周一には庚申堂の青面金剛。そして自分は城址公園の大手門跡へと走った。
 克基はとても嫌な予感がしていた。
 術式を組んだ者は、艮の鬼門にあたる東北の方角へ城の大手門を配置している。その中央にあるのが「鬼の首塚」なのだ。
 これは本当に試合に勝つためだけに組まれた陣なのか――
 そんな考えが頭の中を駆け巡っている。たかがその程度の目的にこんなに凝りに凝りまくった、大掛かりな陣が必要なのか。
 全速力で生垣を飛び越えて、大手門の前にようやくたどり着いた克基は、自分の嫌な予感が的中したことを知った。