White Noiz

諸々。

バンダースナッチ (4)

 別に忘れてたってわけじゃないんだけどな――
 弘美は、先ほど球場の片隅で見つけた発煙筒の一本を握りしめて思っている。発煙筒には油性ペンで書かれた汚い字が踊っている。
『怪盗バンダースナッチ参上!』
 まさか、五色の鈴緒とバンダースナッチが、全く別の事件だとは思わないじゃない――
 弘美は考える。五色の鈴緒と発煙筒という組み合わせは、とても不自然だ。もちろん、大掛かりで複雑な五色の鈴緒で仕掛けられた術式と、怪盗バンダースナッチといういかにも稚拙なネーミングもまったく一致しない。だとすれば、このふたつは全く別のものだと考えたほうがまだしっくり来る。
 ならば五色の鈴緒による術式が破られた今でもバンダースナッチの事件は何も解決していないはず――
 そう考える方が自然だ。
 試合を奪うという予告状を出した怪盗と発煙筒。この組み合わせから考えられる可能性はふたつ。火事と思わせて試合を中止させる。もしくは、火事とみせかけてその混乱に乗じて逃げる。このふたつだろう。
 試合を奪うという予告状を出している以上、可能性が高いのは、前者の「試合を中止させて没収試合にする」だろうか。
 しかし、火事くらいで没収試合にできるのかな――
 そんなことを考えながら弘美は歩いている。

 
 それに――
 試合はとっくに台無しになっていた。平橋高校の対戦相手、桜帝高校の選手は控えの選手も含めて四名も担架で病院へ運ばれていた。今更この試合を台無しにしたところで、意味があるとも思えない。
 さて、どう対応したもんだろう――
 発煙筒には簡易的な時限装置がついていた。デジタル時計に連動させたタイマー式の時限装置だった。それを考えるならば、相手は単独犯。もしくはごく少人数だと考えていいだろう。
 問題は、バンダースナッチがどこに隠れているか?だ。
 キィィィィ――
 突然、耳障りなハウリングノイズが球場に響き渡った。
『わたしの名は、怪盗バンダースナッチ!』
 ボイスチェンジャーによって甲高く変えられた声が高らかに自分の名を宣言した。
「なるほど。放送室」
 弘美は場内放送を聞きながら、ひとりつぶやく。
『この試合は汚い大人と汚い金によって穢された!よってこの試合を没収することにした!わたしはこの試合の勝敗に賭けられた金と、それを為した悪逆の徒を糾弾する者である!』
 野球賭博ってことか――
 五色の鈴緒事件の引き金として機能した、あの児玉とかいう吹奏楽部の顧問も金がどうだとか言っていた。
 全然別の事件なのかと思っていたのだけど――
 結局、根っこは同じなのだろう。すべては、高校球児の汗で賭博なんかやるロクでもない大人達のせいだったのだ。
 それにしても、厨二クサくてセンスのない口上だよね――
 弘美はため息を吐きながらスマホを取り出し、球場に残っている生徒会のメンバーに電話をかける。
「あ、もしもし。栗原です。何か武器になるもの……あぁそうね。金属バットでもいいよ。それ持って放送室前に集合ね。うん」


「鍵を開けて、大人しく出てきなさぁい」
 平橋市民球場の放送室前はちょっとした騒ぎになっていた。
 紺のブレザーを着た初老のおじさん達が、放送室に立て篭もった怪盗バンダースナッチを説得しているようだった。
 弘美は生徒会のメンバー数名と共に放送室前に到着するとすぐに生徒会のメンバーを使って放送室前を封鎖した。
「中の様子はどうなんですか?」
 懸命にバンダースナッチを説得しようとしていたおじさんに聞く。
「き、キミは誰だね?」
 突然現れて現場を指揮しはじめた学生に戸惑いながらも、必死で威厳をみせようとしているが、動揺は隠しきれていない。
「平橋高校生徒会副会長、栗原弘美と申します」
「一体なんの用だ」
 弘美はこれ以上の問答は無駄だと思った。
 放送室のドアの横でしゃがんで泣いている女生徒達を確認する。どうやらウグイス嬢や放送スタッフは放送室から閉め出されたようだった。
 人質はいない。いたら説得のセリフの中に人質を解放するような文言が入っていたはずだ。弘美はそう判断した。
「事件を解決しに来ました」
 とりあえず、そう宣言しておけば後々トラブルにならないだろう。そう思って弘美は言ったのだが、おじさんから返ってきた言葉は、見事に自分達の体裁だけしか考えてないようなセリフだった。
「いま、我々が説得をだな……」
「鍵は?」
 弘美はおろおろしているおじさん達を無視した。
「かかっているようです」
 生徒会のメンバーのひとりがドアノブを握って確認していた。
「バットを下さい」
 生徒会のスタッフから、弘美に金属バットが手渡される。
「お、おい!」
 おじさん達の静止をガン無視して、弘美は金属バットを大上段にかまえて金属製のドアノブに向かって振り下ろした。薩摩示現流のような弘美の強烈な一撃で、ドアノブはぐにっとひん曲がった。
「何をする!やめろ!やめんか!」
 弘美はおじさん達の静止も聞く耳持たず、無表情で四回、五回とドアノブをバットで殴りつけた。
「この鉄の扉は頑丈だぞ!殴ったところで壊せるわけがない!」
 放送室の中から声がした。バンダースナッチはなにを勘違いしたのか、勝ち誇って笑っているようだった。
 バンダースナッチの言葉も無視して、弘美はドアノブの壊れ具合を確認するとうなずいた。
「うん、こんなもんかな?」
 そうつぶやくと、弘美は金属バットを後ろに控えていた生徒会のスタッフに手渡した。代わりにメガホンマイクを受け取る。
 弘美はメガホンマイクのスイッチを入れて一気にまくし立てた。
「怪盗バンダースナッチに告ぐ!こちらは平橋高校生徒会だ!キミの主張は確かに聞いたが、発煙筒はすべて我々が回収した!ドアはしっかり潰した!キミに退路はない!諦めろ!言いたいことは警察で言え!以上だ!」
 一瞬だけ間が空き、慌てて中からドアを開けようとする音がした。ドアノブとドアキーのシリンダーを破壊された鉄製のドアは、全く開く気配もない。
「開けろ!おい!開けろよ!!」
 放送室の中から悲痛な叫びが聞こえてくる。
 ブレザー姿のおじさん達が成す術もなく呆気にとられている中、弘美はスマホを取り出して電話をかけ始めた。
「もしもし、警察でしょうか。わたくし、平橋高等学校二年、栗原弘美と申します……」


「あー、しんど……」
 克基は大手門跡前で力尽き、四肢を投げ出してぶっ倒れていた。
 千聖は弘美から連絡を受け、事の顛末を知らされて慌てて球場に駆けつけた後、弘美達と合流した。
 弘美達は学校やPTAや市のスポーツ課やその他あちこちに連絡を取ったり、警察に事情聴取されたりで、ヘロヘロになりながらも奮闘し、結局帰宅できたのはすっかり夜も更けてからのことだった。
 平橋高校の野球部でマネージャーだった怪盗バンダースナッチは、当然のように警察に連行されて行った。彼がどこから野球賭博の話を聞いたのかは、警察が調べればいいだけのことだ。
 平橋高校と桜帝高校の試合は、結局バンダースナッチの思惑通りに没収試合となった。
 球場のバンダースナッチ騒動にかき消されて、人々からその活躍どころか存在すらも完全に忘れ去られた周一が、庚申堂の中で目を覚ましたのは翌朝のことだった。

     ――終――