龍の泉-4
「我々の名誉を挽回するには、リベンジしかないのであるっ!!」
月越山からボロボロになって帰って来た明くる朝、アキラはユウトの部屋で立ち上がってそう叫んだ。
龍ヶ渕を目指した月越山アタックに挫折した三人はイノシシの強襲に遭遇、撤退を余儀なくされた。思いにもよらないユウトの横槍によって、イノシシと戦わずして退かざるを得なかったリカコの口惜しさは、アキラやユウトの比ではなく、リカコは夕飯が大好きだったシチューにも関わらず手を付けず、龍之介と部屋に閉じこもったっきり一歩も外に出なかった程だ。
「明日なんとかする。だから今日はもう休め」
なんだか妙に大人じみたセリフで、どこかの漫画かアニメから借りてきたものなのかな?とも思ったし、自分は役に立たないんだと言われている様でなんだか無性に悔しかったが、帰り際にきっぱりりとそう言い切ったアキラの言葉を信じてリカコは素直に眠った。龍之介が入った水槽の前で。
隣の家のアキラの部屋で夜遅くまで電気が灯っていたので、アキラは何かをやっているようだった。こういう事柄に関してアキラは天才的とも思えるアイディアと実行力を発揮する。そういうところは素直に凄いと思うのだが、自分には空手なんていうガサツな部分でしかアキラに勝てないのだと思うとなんだか凹む。アキラの指示はいつも大人顔負けでとても的確だ。アキラが何も言ってこないということは、おそらくリカコがやるべき事はないのだと思って、出来るだけ気にしない事にして休むようにした。今考えると、そのわざとらしい言葉もアキラの優しさだったのかもしれないと思う。
アキラの真意はどうであれ、リカコは空手の試合に負けた時と同じような悔しさに襲われていたものの、思った以上に疲れていたらしく、朝まで目覚める事もなくぐっすりと眠れていた。コンディションは上々と言ってもいい。幸い、丘から転げ落ちた時にも、ユウトを下に転がったせいかリカコにはどこにも怪我はなかった。その代わりユウトは青あざだらけになっていたが、それは決してリカコが殴ったからというだけではない。
そして朝。アキラから招集の声がかかった。朝8時。なぜかユウトの部屋。リカコがユウトの部屋に入ると既にアキラはそこに居た。黄緑色でなにやら重そうなザックをユウトの部屋に運び込んでいる。そのザックの横でなぜかユウトが物凄く不機嫌そうな顔でそっぽを向いている。リカコはその様子だけで、昨夜アキラとユウトは二人で何かやらかしたのだと直感的に悟った。
リカコがユウトの部屋に入ってくるなり、アキラは立ち上がって高らかに宣言をしたというわけだった。
「いよっしゃぁ!リベンジだ!!」
リカコにしてもこういうアキラの性格は慣れているので、勢いに乗っかるのはさほど難しくはない。それよりも問題なのはアキラの横にある大げさなザックだ。アキラのことだ。昨夜のうちに用意した対イノシシ用の秘密兵器に違いない。
「このザックはなんなの?」
アキラはリカコの反応にドヤ顔になってニヤリと笑った。横にいるユウトは先ほどよりも増してぶすくれた顔になっている。
「ふっふっふっ」
アキラはノリノリでリカコの前で人差し指なんかを振っている。明らかに何らかのアニメか漫画の影響を受けているとしか思えない。
「聞いて驚け、これが対イノシシ用の秘密兵器だッ!」
「ふーん」
大げさにセリフを吐いたアキラは、リカコの軽い返事にコケそうになる。
「なんだよ!秘密兵器だぞ!秘密兵器!」
人の心には敏感なくせに、こういうところがほんっと馬鹿なんだよなー、と思いながらリカコはザックの方ににじり寄る。
「問題なのは中身」
リカコがザックの中身を引っ張りだすとそれは黒いネットだった。
「なにこれ?」
「サッカーゴールのネット」
アキラの代わりに先ほどからずっとぶすくれて黙っていたユウトが答えた。
「サッカーのぉ?!」
リカコは自分の声を出した途端こらえきれなくなって吹き出した。大きな荷物と、アキラのニヤニヤ笑いと、ユウトの膨れっ面。それらが全部リカコの中で、ジグソーパズルのピースのように組み上がった。笑いが止まらない。そんなリカコの様子を見ているアキラは、やっぱりニヤニヤ笑いながらドヤ顔をしているし、ユウトはやっぱり仏頂面をしている。
「何がそんなにおかしいんだよ」
ユウトがボソリとつぶやくように言う。
「ゴールネットって、バカじゃないの」
リカコはなんとかそれだけを言葉にする。それでも笑いは止まらない。
「バカって言うな」
唇を尖らせてそう答えるユウトは明らかにバカであることを自覚している。
近所にサッカーゴールがあるところは、限られている。小学校、中学校、そしてコミュニティセンターの三つしかない。
コミュニティセンターにあるゴールネットは普段は外されており、必要な時にしかゴールに取り付けられない。必要ない時は取り外されて、建物の中にある倉庫に眠っている。中学校のゴールネットは古くてボロボロ。だとすると、正解は残りのひとつしかない。小学校のゴールネットだ。
「あー、おかしい。学校には許可もらってないくせに」
ようやく収まって来た笑いをおさえながらリカコが言う。涙を浮かべて、腹をかかえている。アキラの無茶はいつもの事の筈なのに、よっぽど笑いのツボにハマったらしい。
「許可なんか取るわけねぇし」
アキラはニヤニヤ笑いを張り付かせたまま床に座り込んだ。
「なんでアキラの犯罪に、ボクが付き合わされなきゃいけないんだ」
ユウトのふてくされた態度の原因はそこだ。つまり、二人で深夜の小学校に忍び込み、サッカーゴールネットをひっぺがして持って来てしまったのだ。
「そう言うなって。ちゃんと返すし」
「そういう問題じゃないっ!」
キレそうになるユウトにリカコは笑顔を向ける。ユウトの左肩に手を置く。
「なんとかなるって」
「なんとかならなかったらどうするんだよ」
どうやら笑顔では誤魔化されてくれないらしい。
「なんとかするんだよ」
アキラが右肩に手を置いてにこやかに言った。
ユウトは深い溜め息をつくしかなかった。