White Noiz

諸々。

奈落の王

 

「あら、元カノの写真か何かですかぁ?」

コアスーツに袖を通しながらリリスが写真を覗き込んだ。

オレは軽くリリスを睨みつけ、個人用情報端末—ワイズド・ターミナル、通称Wizdom——のウィンドウを閉じた。

「人のプライバシーを覗き込むのはいい趣味とは言えんぞ」

コアスーツの武装を目の前に展開した現実拡張ディスプレイで確認しながらリリスは微笑む。

ピッタリと身体にフィットしたコアスーツは、リリスのスタイルのいいボディラインが丸分かりで中々に艶めかしい。

だが、そのコアスーツの下にあるのは、有機繊維で作られた人工皮膚だ。

「アサルト・フォートレスのメンタル面もサポートできなくて、何がバックアッパーですか」

死地に赴こうとしている、降下前のアサルト・オブ・スタンドアロン・フォートレス—つまり、独立型要塞化突撃兵—の気分を和ませようとでもしているのだろうか。

バックアッパーのリリスの表情に一切の暗い陰はない。よくできた女性型ヒューマノイドだ。

「よく出来たバックアッパー様のお陰でこうやって生きながらえてんだって言われればそれまでだな」

苦笑しながらそう言うと、リリスは満面の笑みを浮かべて振り返った。

「それはお互い様ですよ」

一体どんなプログラミングを仕込めば、支援する相手の心まで慮った言動ができるヒューマノイドが作れるのだろうか。

ラックに掛けてあるヘルメットを手に取り、前髪を掻き上げて深く被る。

ヘルメットの内部クッションに無精髭が擦れ、不快な音を立てる。

そういえば、今日は髭を剃っていなかったんだな。

だが、その不快な感触も、ヘルメットの加圧固定型の内部クッションによって擦り潰されてしまった。

不快な物を麻痺させる感覚。

恐怖、不安、怒りを擦り潰せ。

戦場ではそれがセオリーだ。

 

西暦2015年、イスラム国はパリでテロの火を灯した。

当時、世界をテロの恐怖に叩き落としたアルカイダとの闘争が一段落したかに思われたが、新たなる紛争の火種はシリアのラッカにあった。

シリアの一部を領土としたイスラム国は、シリアだけでなくイラクにもその領土を伸ばしていったが、ここに来てクルド人の反抗、フランス空軍やシリア、ロシア空軍による空爆により戦線は膠着。

このイスラム国による空爆への報復行為だとされたパリの同時多発テロは、120名もの一般市民を死者の国へと送り出し、イスラム国への対テロ意識を全世界に植え付ける結果となった。

この事件の後、世界は再び「カウンター・ダーイシュ」と呼ばれる対テロリズムとの抗争の時代へと突入した。

アメリカはアルカイダとの抗争に終止符を打った事に味をしめ、特殊部隊によるイスラム国官邸への強襲を敢行。これに失敗した。

原因は特殊部隊の隊員にもイスラム国の思想が浸透しており、作戦実行時のヘリの中で自爆テロが起きたとも言われている。

なぜ特殊部隊という思想的にもセキュリティが固められた部隊に、イスラム国の思想を持った者が紛れ込んでいたのかは未だ闇の中だ。

ともあれ、「特殊部隊」というチーム編成に不安を抱いたアメリカ軍は、極秘裏に開発していたナノマシンと薬物投与による人間の強化を本格的に導入しはじめる。

この「ナノマシンによる兵士の強化」は部隊編成ではなく、ひとりの兵士をそのまま要塞化するという構想の下、アメリカ軍を中心に国連の平和維持軍にも展開された。

しかし、個人を要塞化するにあたっては、その者の能力だけではどうしても処理できない高いハードルがあった。

戦局の把握と情報整理、そして作戦執行本部との連絡が途絶えた時のバックアップだけは、個人の資質だけでは如何ともしがたかったのだ。

そして、「人」ではなくヒューマノイドとのツーマンセル方式が確立した。これがようやく2030年頃のことだ。

この時期における世界情勢は、既に中東やアフリカ、西アジア諸国、中南米、極東だけでなく、ヨーロッパですらも民族主義が台頭し、テロ合戦を繰り広るという状況に陥っていた。

アメリカにおいてすら、中南米のテロ組織に対抗するだけで手一杯の状況に陥り、中国は最早テロ国家の温床と成り果てていた。

アメリカが世界における平和維持活動に貢献できなくなった西暦2038年。国連は各国から志願兵を募り、正式な軍を再編した。

その軍は対テロリズムを主眼に置いて編成されたため、軍務だけではなく諜報的な位置づけも求められ、ユナイテッド・ネイションズ・ピースキーピング・フォースはユナイテッド・ネイションズ・インテリジェント・カウンターテロ・シアター(UNICT)と改称された。

国連カウンターテロ総軍におけるアサルト・オブ・スタンドアロン・フォートレス(アサルト・フォートレスもしくはAoSFと略される場合が多い)、オレ達はこうやって誕生した。

 

奈落への蓋が開く。

高高度戦略空輸挺進機——エアボーン——のカーゴベイが開き、黒々とした闇の大地が見える。

現地時間午前3時。作戦の時間だ。

リリスと共にナイト・ゴーンツ——ステルス処理を施された高起動型グライダー——へと乗り込む。

「気ぃつけてな」

司令部よりオペレーターの声がヘルメットの中から聞こえて来た。

「あぁ」

オレは短く答える。

アドレナリンが全身を駆け巡るのが分かる。

ジャンキー。死線を超える刺激を好物とし、その緊張感こそを至上の甘露とする者達。

アドレナリンジャンキー。またの名をウォー・ピッグス—戦争の豚ども—。

「降下する」

そんな自嘲じみた思いを鼻先の笑いで吹き飛ばし、オレはリリスと共に暗闇の中へと躍り出た。

奈落へ。

奈落の底へ。

 

「もう、手の施しようがありません」

無機質なくせにヤケに感情的な声を醸し出そうとする若い医者からそう宣告された。

アイカ。青く透き通った瞳を持った女兵士。

唯一、戦場をともに駆け抜け、心を許す事ができた女。

「どうされますか?」

アイカは死んだ。

いや、正確に言えば、死に向かう最中にあった。

呼吸器と脳にダメージはなかったが、下半身を自爆テロの犯人に持って行かれた。

注入されたナノマシンのお陰で辛うじて命をつなぎ留めてはいたが、身体の機能は既に停止し、壊死が始まっていた。

例え脳が生きていたとしても、それだけで人は生きているとは言えない。

真っ白な部屋。真っ白なベッド。透明なカプセルに覆われた女。

生きているとは言えないのなら、もう死んでいるのではないか。

いや、脳が生きているということは意識だけはあるのか。

けれども、今の彼女に意識があるかどうかなど、確認しようがない。

確認しようのない意識は、果たしてそこに存在していると言えるのだろうか。

果たしてそれは生きていると言えるのだろうか。

「お願いします」

オレは片方だけ残った彼女の手を握りしめて声を振り絞った。

「分かりました」

医者は優しい声を出して部屋を出て行った。

 

行軍は呆気なく終わった。

ナイト・ゴーンツはそのままターゲットの場所へ降りるなどという無謀な行為はしない。

少なくとも10キロは離れた場所に降下し、有機性の強化プラスティックで出来た翼は、5分でナノマシンに食われ原型を留めない残骸と成り果てた。

ぱっと見には、以前からある戦車やジープの残骸と何ら変わることのないガラクタの出来上がりだ。

そんなナイト・ゴーンツを捨て去ってリリスとオレは真夜中の行軍を開始し、1時間後にはターゲットのベースキャンプへとたどり着いていた。

今回は日本でテロ行為を繰り返す、テロリストどもの巣を一掃するお仕事だ。

途中、敵対勢力の兵士の姿も見かけなかった。

何かイリーガルな事が起きているというのはじゅうぶんに感じ取っていたが、作戦を放棄して帰投するわけにもいかない。

それはバックアッパーのリリスも同じ認識だったようだ。

「マスター、引き返すのは無理だとしても、今回は慎重に行ったほうがよさそうですね」

普段は作戦行動についてあまり口出しせず、アサルト・オフィサーのオレの判断を待っていることの多いリリスが、降下地点から7キロの地点で囁くようにそう言ったのが印象的だった。

ターゲットであるベースキャンプもやけに静かだった。

オレはリリスと共に、ベースキャンプを臨む丘に陣取り、兵士の配置を見て取ろうとしていた。

だが、ベースキャンプだというのに、兵士の気配はなかった。

暗視スコープの向こう側、ベースキャンプの屋上に人影が過ぎった。

女?

屋上の人影は長い髪を闇の中で風に揺らしながら手を挙げた。

一直線の光が伸び、屋上の女の姿を浮かび上がらせる。

「アイカ?」

何かの見間違いだと思った。

しかし、そんな考えはリリスの低く押し殺した叫びにかき消される。

「オフィサー!精密誘導ビーコンです!」

精密誘導ビーコン。高精度巡航ミサイルによる爆撃のターゲットを指示する光。

アメリカ軍のポインターがベースキャンプに巡航ミサイルの雨を降らせるための光。

「第一陣、三時の方角より着弾します!」

闇夜を切り裂く悲鳴のような轟音が鳴り響いた次の瞬間、ベースキャンプが爆発した。

バイザーの防眩フィルターが作動し、視界が暗がりへと転げ落ちる。

その視界の片隅で女の影が屋上から飛び降りるのが見えた。

そして、目が合う。

間違いない。赤毛の碧眼。アイカだ。

リリスポインターに捕捉された。逃げるぞ」

「イエス、オフィサー」

爆風から身を守るために伏せた低い体勢のまま、オレとリリスはベースキャンプとは真逆に走り始めた。

光の柱がオレ達の行く手を遮る。

アイカにポイントされた。

横を走るリリスを突き飛ばし、その反動でオレも逆方向へと飛んだ。

その瞬間、大地が沸騰した。

 

リリス、生きてるか?」

「イエス、オフィサー」

バックアッパーが生きてるかどうかはバイザーに表示されるモニターで確認は取れる。

それでも声をかけてお互いの存在を確かめ合うことは無駄ではない。

生きているという実感こそが自分を見失わないための命綱なのだから。

「破損状況は?」

「あまり芳しいとは言えませんね」

ここで破損状況を的確に回答しないあたり、本当に一体どんなプログラミングロジックで動いているのだろうかと思う。

オレを不安にさせないための心遣いだとでもいうのだろうか。

「的確に頼むよ、リリス

「失礼しました。脚部破損70%。歩行は困難です」

コアスーツの背面に仕込まれたスラスターの推進剤はわずか50メートル。この戦場を離脱するためには全くと言っていいほど足りていない。

「オレもだ。手足は無事だが、土手っ腹に破片を一撃食らっちまった」

リリスがオレのコアスーツからダメージ状況を転送し、そのデータを元にスキャンをかける。

「オフィサー、内臓にダメージは……そこまで深刻でもなさそうですね」

「まだナノマシンでのリアルタイム治療が利くレベルではあるな」

「オフィサーの完治まで約3分」

「作戦完了予定時間は?」

「あと10分です」

伏せた草むらから丘の向こうを見通す。アイカはまだ現れてはいない。

だが、先ほどの一撃でオレ達が消し炭になったとも思ってはいないだろう。

ふと、かつて愛した女性ーアイカと、敵という、相反するイメージを何の違和感もなく受け入れてしまっている自分に気づく。

これは、戦場では致命的な判断の遅延に結びつく「葛藤」を抑制する薬物投与の影響によるものなのだろうか。

それとも……。

「熱源反応。パターンはタクティカルヒューマノイド

リリスの声に我に返る。

薬物で抑制していても、自分の考えに囚われそうになっている。

平常心ではない証拠だろう。

「フォートレスモードの展開は可能か?」

「可能です」

逡巡のない声が返ってくる。

敵拠点の制圧でもないこの状況においてフォートレスモードを展開するのはあまり賢い選択だとは言えない。

フォートレスモードは全武装を展開し、一定範囲内を完全制圧する事を主目的とする。確かに火力は確保できるが、長時間に渡る戦闘には不向きな上に、何よりも機動性を犠牲にしてしまうリスクが高い。

早い話が、アサルトフォートレスというのは、敵陣まっただ中に降下させた兵士を要塞の如く武装させ、援軍が来るまでその場を橋頭堡として確保させるという、ロクでもない戦術単位なのだ。

そのロクでもない戦術を採ろうとしているにもかかわらず、リリスの声は冷静に聞かれた事のみを答えている。決して考える事を放棄はしていない。純粋にオレの採る戦術を信頼している証拠だ。

相手はタクティカルヒューマノイド。単騎で直径5キロメートルの範囲を焼け野に変える人外のバケモノだ。まぁ、アサルトフォートレスも似たり寄ったりなシロモノではあるのだが。

しかし、相手はポインターと呼ばれる、巡航ミサイルやレーザーといった外部からの全面支援—というよりむしろ、そちらの方がメインなのだが—を受ける優位性がある。

任務が想定外の結果と終わった以上、本来ならば逃げの一手に尽きるが、逃げ足を封じられた以上戦うしか選択肢は残されていない。フォートレスモードを展開し、更には奥の手までも使ったとして、勝算は五分五分といったところだろう。

腹をくくるしかない。

「フォートレスモード展開」

「イエス、オフィサー」

リリスは音もなく全武装を展開しはじめた。

 

リリス、あと何秒保つ?」

「60秒です」

あと60秒で弾薬が尽きる。それまでにケリをつけられなければ投了だ。

周囲は見事なまでに灰塵へと帰した。大地には十数メートル規模のクレーターが幾重にも刻まれ、ターゲットだったベースキャンプもレーザーの照射で飴状の奇怪なオブジェに成り果てた。

それでもオレとリリスはまだ戦っていた。だがその抵抗も、もうあまり長くはない。

「20秒後にデコイを射出。そのままスラスターを使って離脱しろ」

一瞬の間。

「イエス、オフィサー」

その一瞬の間が意味するものを考える余裕はなかった。

次の瞬間、ビーコンによるポインターの光柱がそびえ立ち、それに導かれてもう何度目かも分からない高高度からのレーザーが十束ほど降り立った。

2分前に射出した光学チャフをものの見事に霧散させるも、大幅にその収束率を減衰したレーザーは、射出角と収束幅から算出された回避行動を取るコアスーツを掠めて地面に突き刺さった。

「離脱しろ」

「イエス、オフィサー」

レーザーによるサージでノイズ混じりになったリリスの声が遠くに聞こえた。

リリスのデコイが射出され、アイカに向かって突進する。

奥歯にはめ込んだカプセルを舌で押し出し、噛み潰す。

ナノマシン励起剤。体内に埋め込まれたナノマシンのポテンシャルを最大限に引き出すためのトリガー。

全身に激痛が走る。全てのナノマシンが覚醒していくのが分かる。

大地を蹴っ飛ばす。周りの景色が勢い良く吹っ飛んでいく。

フェイントは一回。

天空から降り注ぐレーザーの一斉掃射で消えていくリリスのデコイ。

左足を地面に突き刺し、急激なターン。コアスーツで頑強にフォローされている筈の左足の筋繊維が引き千切れる音が聞こえた。

腰にぶら下がった高速振動ブレードを抜き様になぎ払う。アイカの首めがけて。

ゴツンという確かな手応え。視界の片隅を舞う彼女の首。

表情もないままに。

まだだ。アイカの意識を完全に断つまでは終わらない。

右足で地面を串刺しにしてターン。筋繊維が断末魔をあげる。覚醒したナノマシンは治療には使えない。これでまともに立つことすらできなくなる。

最後の一撃。

ブレードを逆手に持ち替えて、宙を舞う首の眉間に突き立てる。

「アキト……」

アイカの声が聞こえた気がした。

 

気が付くとリリスの膝の上で仰向けに倒れていた。

真上から覗き込むリリスの端正な顔に驚いたが、全くと言っていいほど身体が動かない。

リリス……」

辛うじて絞り出した声にリリスが微笑む。

「なんとかなりましたね」

そう、なんとか生き残ったようだ。

「作戦完了予定時間を過ぎましたので、通信が回復しています」

「お迎えに来てくれるわけか」

「はい」

リリスの顔の向こうに星空が見える。

視線に気づいたのか、リリスも満天の星空を見上げた。

「迎えが来るまで、もうしばらくお休み下さい」

「わかった」

なぜリリスがオレに膝枕をしてくれているのかは分からない。

果たして、これもオレを労うようにプログラミングされたヒューマノイドの行動パターンなのだろうか。

それとも……。

オレの記憶を持ったアイカに似たヒューマノイド

死んだはずのアイカ。その蘇生。

まるで本物の人間のような行動と言動。

リリス、お前も……」

「はい?なんでしょう?」

リリスがオレの顔を覗き込む。

その疑念は危険だ。打ち消す。

「いや、なんでもない」

「……はい」

人の死とは何なのか?

脳さえ生きていれば、人は生きていると言えるのだろうか?

まとまらない思考は、そのままオレを眠りの奈落へと引きずり込んでいった。

 

——了——

※2015年冬コミ 創作集団スターボード 三題話シリーズ「元カノ三題話」寄稿作品です。

※※だいたい伊藤計劃のせい。