White Noiz

諸々。

Deeper - 2

参ったね。こりゃ。
オレは黙って両手を上げる。もちろん、無抵抗だから撃つなよという意思表示だ。
「身の回りのもの、使えるものは全部武器にしろ。でしたっけ?隊長?」
にっこり微笑んでいるものの、目は全く笑ってはいない。そしてオレの胸にポイントした照準もまったくブレもしない。
隊長……ね。
「まぁた、懐かしい台詞を引っ張り出してきたもんだな」
口の端を釣り上げてニヒルに笑ってはみたが、果たして挑発としてどれほど効果があるのか。
「そーですよねぇ。あれからもう8年ですか」
8年か……。戦場を駆けずり回ってたあの時からもう8年ね……。
「けど、女に弱いのは相変わらずってことですよね?」
微動だにしない銃口を意識しながら女の表情を読み取る。
「性格はそう簡単には変わりゃしねぇよ。お前も相変わらずあざとい手を使う」
憎まれ口を叩くのと同時に情報を引き出す為の会話。残念ながらこの美女が誰なのか、オレにはまださっぱり思い出せずにいるのだ。
「あら。本当に思い出せたんですか?」
少しばかり意外な表情。ということは、記憶の埒外にあるだろうという想定で仕掛けてきていたということか。
「もちろんだ」
これ以上の会話はヤブヘビというヤツだな。
もっともらしい表情をしながら、座ったままで椅子を少しずつ後ろにずらしていく。
気づくかなぁ?気づくんだろうなぁ……。
銃口がぴくりと動く。なるほど。
「座ったままはお嫌いですか?」
ほら、やっぱり気づいた。
「緊張し過ぎるとタバコが吸いたくなるんだ」
「タバコ?」
女の形のよい柳眉が不均等に釣り上がる。
「以前はタバコなんて吸わなかったのに?」
なるほど、オレがタバコを吸い始める以前のお知り合いってわけか。
「そりゃ8年もすりゃ小学校にいたガキだってタバコを吸い始める歳になるさ」
女は疑わしげにオレを見ている。
「タバコくらい吸わせてくれよ。最後の一服くらい許してくれたっていいんじゃないのか?」
気まずい沈黙の後、女はようやく表情を柔らかくした。
「ま、いいか。タバコぐらい」
その『タバコ』が命取りなんだけどな。
オレは心の中で舌を出す。
「タバコはどこにあるの?」
「冷蔵庫にひっついてるマグネット式の壁掛けボックス」
女はオレに銃口を向けたまま、冷蔵庫を振り返る。
おいおい素人かよ。ターゲットから目を離すんじゃないよ。
右手を動かそうとした瞬間に銃口がオレの右手の方に定まった。
何だ?こちらを見てもいないのに?
右手をそっと元の位置、顔の右側にあげる。銃口がオレの胸のど真ん中をポイントする。何事もなかったかのように先ほどの状況に逆戻りだ。
冷蔵庫の扉にちょこんと張り付いているマグネット式のボックスを見つけた女は、無造作に冷蔵庫の前にたどり着く。銃口はオレを向いたまま銃を左手に持ち替え、右手でマグネット式のボックスを冷蔵庫から引き剥がす。
「これ?」
金属製のボックスを右手で軽く持ち上げて、重さと中身を推し量るように軽く振る。
「それ」
「ライターは?」
「その中だよ」
女は頷いてボックスをオレに放り投げる。
オレはそれを左手で掴む。
「吸っていいか?」
「どうぞ」
軽く首を傾げながら、用心深く銃を右手に持ち替えて構え直す女。
ホールドアップの姿勢のまま左手の親指で蓋を弾く。ボックスの中にあるタバコの香りが12畳のダイニングキッチンに微かに溶け出す。こちらも女から視線を外さずに、テーブルの上で箱を逆さまに。自分で葉をブレンドした紙巻のタバコ数本とライターが転がり出た。
ゆっくりと左手でタバコを掴み、右手でライターを取る。このライターが火炎放射器か何かだったらジェームス・ボンドになれそうな気もするが、残念ながら現実はそんなに甘くない。こいつはただのライターだ。本命はタバコにある。本命にたどり着くまで下手に相手を刺激しない。確実な一手を掴むまでは。
タバコを口に咥えて火を点ける。ゆっくりと煙を吸い込む。本命を手にするまで約10秒。時間が掛かり過ぎるのが奥の手の難点だ。
タバコの葉に混ぜ込まれたトリプタミン系薬物から派生した向精神効果のある特殊人口化合物ー通称DEEPERーは5年前から起こった北朝鮮崩壊を引き金とした東シナ紛争の最中、最前線で戦う兵士達の間で流行り始めた。その製法も流通ルートも不明。当初は戦場の恐怖を克服するための向精神薬として服用されていたが、その後特定の体質を持つ者にとって強烈な副作用がある事が判明し、2年前に規制対象となったものだ。
その副作用はアレルギー系の拒否反応を引き起こした者の八割を死に至らしめるほど過酷なものだった。しかし、この拒絶反応を掻い潜った者達には多様な特徴が見られ始めた。ある者は異様なまでの怪力。ある者は動物のような俊敏性。そのような者達の中には戦場において恐るべき戦果を挙げた者達もいた。謎だらけのクスリはやがて軍が前線の兵士達を薬物強化兵開発の実験台にしたのではないかという噂まで流れた。だがしかし、その真相は……。
DEEPERがDNAの中に眠る太古の記憶を呼び覚ます。
チリチリと産毛が逆立っていくのが分かる。
女がオレを凝視している。表立って変化が現れるにはまだ時間が早過ぎる。何を視ている?まさか……知っているのか?この奥の手を?

Deeper - 1

その朝、オレはとてつもない二日酔いで眼を覚ました。 いつものオレの部屋。いつもの日差し。いつもの時間。だがオレの頭の中では巨大なドラが重々しく鳴り響いていた。 「ちくしょ……」 悪態をつきながらベッドから身を起こす。 「おはよう」 オレの隣でやけにセクシーな肢体をくねらせながら、とびっきりの美女が朝の挨拶をしてきた。 身長160cm。年の頃は24〜26といったところか。黒髪のショートボブはやや寝乱れた風。ブラウンの瞳。勝ち気さを示すかのようにやや上がり気味の眼尻。やや低めだが真っ直ぐに伸びた鼻梁。顎のラインは女性らしい膨よかさを残しながらもシャープさをアピールしている。朝日に透けて見えるうなじと陰を作る鎖骨の陰。そして、ベージュのシーツの下に隠された肢体は上から86、62、90と見た。 オレは思わず呟いた。 「わーお」 いや、待て。そうじゃないだろ、オレ。それ以前の問題がここにこうやって厳然たる事実を以って横たわっているだろう。そう、まるでこの美女のように。 「……お前誰だ」 目の前の美女が艶然と微笑みながらこう言った。 「仮免、合格?」

仮免?何の仮免だろう? 普通、一番に思いつくのは車の仮免だろう。だが、なぜオレが見ず知らずの女に車の免許を交付しなければならないのか?そういう意味ではこの車の仮免というのアイディアは大方ハズしていると考えていいだろう。では何の仮免なのだろうか? キッチンではコポコポと音を立ててコーヒーが沸いている。さきほど一緒に寝ていた美女が鼻歌混じりにサラダを作っている。 白いだぼだぼのオレのワイシャツから、美しい脚がにょきっと出ている。その上からどこから持ってきたのかよくわからないオフホワイトなエプロンをつけている。仮免について思いを馳せるのを辞め、そんな女の後ろ姿を眺めながらオレは思った。 なんてベタな展開なんだろう……。まるで80年代のスラップスティック・コメディの類だ。 「コーヒーはブラック?」 少しばかりハスキーな声が響く。 「あぁ、うん」 なんとも間の抜けた返事だ。どう考えてもあちらのペースに飲まれている。オレはまだこの美女が誰なのかも分からないし、先ほど彼女が呟いた「仮免」の意味も見当がついていないというのに。 愛用のステンレスのマグカップに7割くらい満たされたブラックコーヒー。良くわかっている。何者だ。この美女は。 コーヒーと一緒にテーブルの上に差し出されたのは、やや深めの皿に入ったサラダにコンソメスープ、そしてシリアル。一人暮らしなオレのいつもの朝食と一点を除いて変わらない。唯一の変更点であるサラダは、これまたオレの好みを知っているかのようにサウザンドドレッシングがかかっている。 「で、何の用だ?」 オレはスプーンを手に取り、スープにとりかかる。本題にいきなり斬り込む時には何気ない風を装うのがコツだ。 「昨夜、一緒に居たくせに『何の用だ』っていうのはあんまりじゃない?」 美女は自分のスープをカップに注ぎながら、こちらを見もせずに言う。クスリと笑った風に聞こえたが、確かに朝の状況を考えてみれば、オレの台詞は無粋の極みだろう。そうは思うものの、昨晩の記憶が欠片もないのだから仕方がないのだが。 「いや、まぁ……」 などと、適当に言葉を濁してしまいそうになる。 だが、待てよ。この会話の流れではこの美女の正体が全く分からないままだ。上手くはぐらかされている可能性だってあり得るのだ。上手くはぐらかされたまま手探りの会話をいつまで続けなければならんのだ? そう考えて、既に相手の術中にあるのではないかと背筋が薄ら寒くなる。 この女、何者だ。 オレは静かにスープカップをテーブルの上に置くと、現状を確認した。 何の変哲もない朝の風景。いつもの部屋にいつものような二日酔い。そして、いつものような朝食。唯一、彼女の存在を除いては。 サラダを手に取り、フォークを右手に持つ。ひと口、レタスの欠片をフォークで刺し、口の中に放り込む。サウザンドドレッシングの酸味が二日酔いでドロドロになった口の中に爽やかに広がる。うむ。美味い。 フォークをテーブルの手前側に置き、左腕でさりげなく隠しながらコーヒーカップに手を伸ばす。左手の中指と薬指でテーブルの上に置いたフォークの柄を挟み、スウェットの袖の中へ……。 「はい、そこまで」 薄い笑いをたたえて美女が右腕を突き出していた。その右腕の掌には無骨な金属の塊が握られている。 シグ・ザウアーP229EE。 ドイツのシグ社が作った名銃P226を小型化し、扱い易くしたP228から、更にグリップやトリガー等を変更し、コンバットシューティング用にカスタマイズされたハンドガンだ。 そんなハンドガンが「下着にワイシャツだけ」というセクシーな格好のどこに持っていたのかと疑いたくなるような鮮やかさで突き出されていた。