転職なぅ。
転職しまして、福岡市内の勤務となりましてん。
初出勤で「あ、2日の夕方16時くらいにお願いします」言われて「そのまま、4月打ち上げ&歓迎会でお願いします」言われましたので、端末のセットアップもそこそこに(とは言いつつほとんどOSのアプグレも途中のまんま)飲みでした。
場所は渡辺通り二丁目の『おちょこ』って店でした。
以下、てきとーに料理の写真が続きます。
ヒラメのゴマソースっぽいやつ
ヒラメを塩とワサビのみで頂きます
これはなんだったっけ😅錫の御猪口で冷酒を。割と記憶は曖昧。個人で頼んだのはアズマイチと天吹スーパードライだったんだけど、途中でほかの人と一緒に飲んでわやくちゃに。
ヒラメ背鰭のミゾレでしたっけ
で、メインディッシュは鮑のしゃぶしゃぶ。鮑のしゃぶしゃぶってのは初めてでした。鰹だしがよく合います。あ、しまった。締めの雑炊しか写真撮ってないやん。
はい。ごちそーさまでした。
結構、接客にも使えそうな美味い店でしたよ。
承天寺
博多でも屈指の名刹。承天寺。臨済宗東福寺派の古刹ですな。博多駅前に現存しております。
昨日アップしてた石碑は何かっつーと、写真の通り山の中にあり、博多駅前にある訳じゃない。どこにあるかってぇと、太宰府と糟屋郡宇美町の境目あたりにあります。ちょうど宝満山の北側ですな。
さて、ここからが問題でして。なぜ博多の名刹の名を刻んだ石碑が太宰府にあるのか?という謎が浮かび上がるわけです。こりゃ調べないかんめぇ。で、やっぱりWikipediaをw
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/承天寺
あーね。なるほどね。少弐氏ね。太宰府だもんね。少弐氏縁の寺院なのねー。
太宰府って、中世が物の見事に歴史の教科書から抜け落ちてるんすよ。それこそ、平安時代の菅原道真の話以降、まーったく触れられない。つーか、出てくるのは博多で文化貿易中心。福岡の歴史なんて触れられてるのがあっても鎌倉の元寇。室町飛ばしていきなり戦国時代に龍造寺ですよ。龍造寺言うても鉄心のじいちゃんじゃないですよ。修羅の門。
ほんじゃ平安時代から戦国時代まで空白やったん?ってそんなわきゃない。鎮西の要所である太宰府がガラ空きっておかしいでしょ。鎮西探題でちゃんと仕事してる連中がいた訳ですよ。それが少弐氏。この少弐氏が承天寺を創建した。つまり、太宰府だけでなく博多も、更に言うならば福岡近隣をこの少弐氏が治めてたわけですね。
この少弐氏、源流は藤原道長の後裔だとかで、元々は武蔵国の武藤姓。源平合戦では平家方として参戦。一ノ谷の戦いにて敗れて源氏に投降。鎌倉幕府より太宰少弐という役所をもらって福岡に入るわけですな。この役所がそのまま姓となり、少弐氏を名乗ります。この少弐氏が日本史として出てくるのは先程も書いた元寇。ボコボコにやられて家長やら跡取り息子なんかが死んでしまいます。そんな苦労の甲斐もあり、鎌倉幕府に優遇されて鎌倉時代に福岡で栄華を誇ります。
室町時代に入ると、敗走してきた足利尊氏を奉じたりして頑張りますが、南北朝の政争に巻き込まれ、山口の大内氏の度重なる北九州侵略に応戦してたら、熊本の菊池氏に太宰府を落とされて佐賀に逃げ延びます。この末裔が佐賀の肥前鍋島なのだそうな。そのまま江戸時代に?と思いきや、戦国時代は甘くない。龍造寺に謀反を起こされ、少弐氏は滅んでしまうわけですが、一応逃げ延びた人達はいるそうです。
その後、福岡は龍造寺、大友宗麟、高橋(立花)等が鎬を削り、島津がちょっかいかけてきたりもしたけど、江戸時代になって黒田官兵衛がやってくる、というお話であります。
郷土史を調べてたら、太宰府の少弐氏ってのは結構頻繁に出てきてて、鎌倉時代に太宰府を寺院文化の拠点にした功績とか出てきます。今でも太宰府には寺院が多いんだけど、当時は数百もの寺院が建ち並んでたとか。なかなか日本史の中ではパッとしない少弐氏ではありますが、その政治的な手腕はなかなかのものだったのではなかろーかと推察する次第であります。
以上、ざっくり太宰府と少弐氏のお話でございました。
近くて遠い場所
昨日の発熱と頭痛を、熱い風呂と頭痛薬と葛根湯で駆逐した。
午前中は大人しくしていたものの、午後に愛車のPCX125を洗車したらどこかに行きたくなった。アホみたいに天気もいいし。これはもうしょうがない。
いつものように四王寺を大城から太宰府へと抜ける。ところがやっぱり15分程度のロードじゃ物足りない。しょうがないので、以前途中で挫折した北谷方面へ。ダムの方ではなく、北谷の集落の方だ。北谷は公民館のやや上にちょっとした立派な地蔵堂もあり、なんとなく面白そうな場所という印象があった。
公民館を過ぎ、地蔵堂を過ぎて更に上へ。途中、民家に入る私道に突っ込んだりもしたが、それはカーナビを見ないバイクのご愛敬ということで。窯元を過ぎた辺りから道はアカン感じになってくる。
あかん感じ。
そして現れる巨大な石碑。
承天寺?博多の古刹と同じ寺名?
右はロープが張られており、立ち入りを禁じられてる風。しょうがないので左へハンドルを切り、更に上へ。
とんでもない坂のカーブもあったもんだ。
内山辛野遺跡とな?平安時代の荘園の遺跡らしい。
道は細く、センターに苔むすレベルで怪しくなり……。
川にかかる橋を渡ると私有地で立ち入り禁止でしたw
はいはい。Uターン。
一旦帰宅して昼食をとり、再び自宅の掃除等をする。
そして夕方になり、唐突に夕陽が見たくなる。どこに行くか?西に拓けている場所。四王寺、宝満、三郡あたりだろうか?西の方にある山はどうだろうか?流石に雷山、背振は日没に間に合わない。あの辺の近場で一番高い山……基山。
やってきました草スキー場。この急勾配の上に山頂はある。この勾配を直登したわけだが、流石に息が切れた。運動不足はかなり深刻のようだ。
山頂近くから直登ルートを見るとこんな感じ。肺が苦しい。かなり後悔させて貰った。
ちなみにこの基山の山頂はパワースポットでもある。基山の山腹に瀧光徳寺が建立されたのもこのパワースポットのせい。
仏壇仏具屋に務めてた頃に瀧光徳寺には出入りしてたのだ。
夕陽はこの通り。
反対側には市街地がよく見える。
途中に山桜があったり。
ツツジもあったり。
飛行機雲もあったり。
いずれも車で30分前後で行ける場所。けれども、用がないので行かない場所。近い筈なのに遠い。そういう場所にふらっと思い付きで行くのが好きだ。
文化の違い
親父殿から急な呼び出し。
折り返し電話を掛けたら『飲みたくなった』とのこと。
急な呼び出しだったので慌てたが、とりあえずは夜の予定を空けて親父殿の呼び出しに応じる事に。
しかし、初っ端からスナックかいな。
場所は春日市の航空自衛隊の正門のところ。敢えて名前は出すまいw
家庭の事情も含めて、親父殿の親族の訃報も転職の話も家庭の事情も織り交ぜながら飲む。
その後、めっちゃ近所のバーが美味いという話をスナックのママと話をしてたら、親父殿が連れてけと言う。
そんで、アルパッソへ。
値はちょい張るものの、ここはホントに間違いないレベルで酒も料理も美味い。
ところが、親父殿の声がデカい。
何度も『声がデカい。トーン落とせ』と親父殿に注意するハメに。
スナックとバーの違いってなんだろーね?と考える。
それはつまり、スナックは話がメインなのではなかろーかと愚考する。
逆にバーは会話を成立させなくともいい。気が向いた時にバーテンダーに話を仕掛けて会話を楽しむ事が出来るのではないかと。
そこでふと思い至る。スナックも同じように気が向いた時に話振って会話をすることができる。
ならば、両者の違いとは何なのだろうか?
心地よい距離感をカウンターのあちら側にいる主がはかって自在にコミュニケーションを取る。
それはつまり、カウンターの向こう側にいる人がいかに接客をするのか?というスタイルの問題でもある。
しかしながら、親父殿のようにバーは苦手でスナックが良いという人種もいるし、オレのようにスナックは苦手でバーが良いという人種も居るのだ。
この一件文化的差異のように見えて、その実あまりボーダーがないと思えるような業務形態とはなんの意味があるのだろうか?
そんな事を思いながら風呂に入ってそろそろ寝ようかと思う。
温泉に行ってきた
田主丸にあるみのう山荘に行ってきた。
田主丸は福岡県の南東部にあるフルーツとカッパが有名な土地。
あ、カッパ撮影し忘れてるやん。
耳納連山の麓にあるみのう山荘は、眺望の素晴らしい露天風呂がある温泉だ。
施設内にはカフェもある。
料金はやや高めでひとプレートセット2000円といったところか。美味いけど。
去年の春以来、ここには来れてなくて(というか温泉自体久々な気もする)、夏に改修とかいう話で「どんな風になるんだろ?」とか思ってたんだけど、受付、厨房、カフェが変わってた。温泉はほぼ変更なし。
帰りに巨峰ワイナリーに行こうとしたら、バイクのフューエルランプが点滅してしまったので、泣きながらワインを諦めた。
田主丸市街地で給油して、甘木を抜けて秋月も抜け、八丁峠を走る。
春嵐で杉の枝葉が散乱しててかなり気を使った。
その途中にあった「神」。
これはあれか?よく山道のカーブやらちょっとした空き地に建ててあるちっこい朱の鳥居と同じ系統のやつか?
それにしたって「神」だけじゃ、神も宿り難いだろうに。
桂川を抜け、米の山峠を抜けて帰宅。
久々の遠出でした。
魚好亭 三度
関西より戦友来たる。
『何が食べたいっすか?』
『イカ!』
ってことでイカを食いに魚好亭に。
確かまだ三度くらいしか来てないはずなのに、何故かよく迎撃に利用してしまう店、魚好亭。
理由は簡単。ジールどんとシエスタさんとオレとヨダレ犬殿で会合を行い、美味そうな写真をGoogle+にアップしたからだ。そんなわけで、博多でイカを食わせろというイングレスエージェントが続出。店の名前出したからな。自分達で行って頂きたい。
もちろん、呼子や宗像の方で食った方が鮮度はいいという意見もあるだろう。オレもそれには同意する。ドライブして呼子か宗像に行きたまえw
活き造りの後は天ぷらで。イワシの天ぷらもプラスして。
そして大将の襲撃にあい、寿司を勧められるままに注文。
清酒2杯くらいでてきとーにペースを落とそうとしてたら大将に霧島を勧められまくり、やや悪酔いした気がする。
すっかり酒が弱くなったもんだ。
月うさぎ
昨日の話。
糸島にあるお餅カフェ『月うさぎ』に行ってきた。
狙いは博多雑煮。
ここは古民家改造カフェで民家と変わらないためにちと分かりにくい。
営業はランチタイムのみ。夜はやってないそうな。1500円くらいの価格帯でお餅をメインとしたランチが食べれる。
味はさっぱりとした上品さで、田舎にあるにしては全く田舎臭い味がしない。ややすると田舎料理に終始しがちな食材を上手く使って旬菜料理にしている。特に筍の処理は香りはしっかりあるのにエグさのない素晴らしいものでした。あと、黒豆の甘さ抑え目な感じや人参のコンポートも思わず『なるほど』と唸ってしまう味。
お餅が食いたくなったらまた行くことにしよう。